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水雲風

とりあえず人生を記録と妄想の吐き出しの地

鳥取城取り壊し(2011/01/15)

鳥取城の取り壊しについて調べてみました。

■取り壊し経緯

山根幸恵著の「鳥取城」(P.70)によると時系列では以下のようになっています。同「鳥取城」によると青谷亀尻の後藤氏が瓦を購入して自宅の屋根を葺いたそうです。
また、市内の各地にお城の用材が分散していたが、昭和の地震と大火で大半が焼失したみたいです。

1692年(元禄5年)には天守が焼失して以後再建されなかったそうなので取り壊し時に天守は無かったようです。
また、解体が行われた時期は鳥取県が島根県に合併されていた明治9年~明治14年にあたるようです。


■取り壊し理由

取り壊しとなった理由ですが、2011年1月15日現在の鳥取城のWikipediaには、
県庁所在地(松江市)以外に城は必要なしとの観点より
と書かれています。
自分もこの説明はどこかで見た覚えがあります。

ただ、この理由は以下のことにより正しくないのではという気がしています。
  • 松江城は明治8年に民間に払い下げられたが、有志の手によって買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった(松江城ホームページ参照)。
  • 基本的に城は取り壊される方針であった。
山根幸恵著の「鳥取城問答」(P.56)によると、大政奉還後の全国的な城の破却の背後にある思想は次の三つだそうです。また、その後存城になったものの、陸軍の施設として使用しないものは、
修理を全くしないで破損が甚だしいものが多く、破却となるものが多かったという旨が書かれています。

例えば、こちらによると尼崎城でも同じような理由により取り壊されているようです。
廃城令なるものが明治6年に政府より発せられていますが、
存城となったものも文化財の保護の観点はなく、軍事的利用のために整備すべしという方針だったようです。

以上より、城が取り壊される流れの中で鳥取城は壊された。
松江城はたまたま取り壊しを免れた。といったところではないかと考えています。


■「県庁所在地以外に城は必要なしとの観点」という理由についての推察

上記が正しい場合、「県庁所在地以外に城は必要なしとの観点により」という理由は間違っていることになります。
この理由があるのは、鳥取県民と島根県民の反発というものが背景にあるように思います。

この理由は以下の事実に対しては説明をつけることができます。また、島根県との合併では旧鳥取藩士の反発により鳥取県が分離しているようです。
これらより推察すると、合併してる時に自分達の城を壊されたという逆恨みか、
鳥取城がなくて松江城があることへのやっかみという感情が鳥取側にあるような気がします。


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  1. 2011/01/15(土) 20:15:46|
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