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水雲風

とりあえず人生を記録と妄想の吐き出しの地

映画「黄泉がえり」(2005/09/20)



映画「黄泉がえり」をテレビで初めて見ました。

なんか戦争映画で死んで行く兵士が
なかなか死なないであーだこーだとずっとしゃべってる感じでした。

黄泉がえりって特に理由があるわけではなくて
現象としてしか描かれていないので、
そういうシチュエーションを作りたかっただけだと思います。
別れを描きたいためだけのシチュエーションです。

別れを描いた作品っていろいろありますが、
結局人間ドラマの部分が良いかどうかになると思います。
その点では、「黄泉がえり」は一人一人の話があまりにも浅いと思います。
死ぬまでの時間と別れを描くならそれこそ
不治の病でも良いんじゃないかと思いました(特に主人公格2人)。
黄泉がえりだからこその設定ならではというものをあまり感じないです。

泣ける要素を記号的に詰め込んだお手軽感動映画でしょうか。

というか途中で思いましたが別れとか全然関係なくて、
実は音楽のプロモーションのための映画かと思いました。
死者の復活の神話やおとぎ話といえばまず、
黄泉つ平坂で死者に追いかけられる話や、
死者の復活をお願いしたら家の周りを一晩中死体が歩き回る
というろくでもない話を思い浮かべます。

他は死を征服した英雄の話でしょうか。


ゲド戦記3も死に関する話ですね。

生まれ変わり系の思想も一度死ななければいけないという発想ですね。

根底には、生の世界と決して交わらない死の世界の思想があると思います。
逆に、二つを行き来できる(できた)人間は特別であって、
二つを繋げたために世界が狂う話がゲド戦記だと思います。
まあ、生と死は交わらないというのは当たり前であって、
世界の理であり神話やおとぎ話で描かれてきたことだと思います。

で「黄泉がえり」は簡単に繋がってしまった二つの世界という
設定、世界観に現実感がわきません。
素直に受け入れられなかったです。



05/09/22追記
臨死体験でも川に橋があったり、トンネルを通ったり、
この世とあの世の境界が存在します。
逆に死者と生者の境が無くなる話は、
キリスト教の最後の審判でしょうか。
だいたいにおいて世界崩壊の話だと思います。

死ぬということが無くなると、
死ぬということを前提にしていた既存の概念、常識、体制は吹っ飛んで、
今の世界は崩壊し、新たな世界が誕生します。

それなのに「黄泉がえり」は死と生というものの扱いが軽いと思います。
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  1. 2005/09/20(火) 23:04:57|
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