映画「バトルロワイヤル」は何故話題になったのだろう?
政府のお偉いさんが何か言ってたのも不思議だ。
あの時の現象は何だったのだろうか?
「あずみ」とか「kill bill」のゴーゴー夕張は何もいわれてないのにね、、、
そもそも"高校生が殺しあいをさせるというのが不謹慎"とかいうのは
それ自体が間違ってる。
それでしか言えないことがあるならやるべきだろう。
政府のお偉いさんが作品がダメとかいうべきことではない。
表現の自由があるし、大人なら自分で見に行くか行かないかを選択できる。
でもR指定(だったけかな?)にしたのは間違ってないと思う。
監督が高校生にこそ見せたいとかほざいてたけど、
そこまでしっかりしたテーマがある映画とは思えない。
まず設定がおかしい。
映画の設定では圧倒的に殺し合いをしない方が生き残る確率が高いと思う。
地区を狭めて行くのは最後に一つのエリアに全員を集めるためだと思っていたが、
結局終わりでも大部分が残っていた。
これでは隠れている奴がいたり、お互いが会わなかったり、
GPSがなかったりしたら即時間切れでドカンとなる。
また40人いると単純に考えると生き残る確率は1/40で1割にも満たない、
制限時間までは誰も殺さずにいることができる。
これだけ考えると製作者の意図は
高校生が殺し合うという状況にはないと思えてしまう。
またバトルロワイヤル法も映画だけ見ると意味がよくわからない。
ダメな奴ばっかになったならダメな奴を粛正、再教育すればいいんじゃないのか。
殺し合わせる意味がよくわからない。
小説がいいから映画もという人もいるが、
映画は一つの作品であり、映像でなければできない表現をするべきだ。
そうじゃなきゃ原作のイメージ映像を作ったにすぎない。
また人間描写が陳腐だ。
一人一人について詳しく描写されていないので人物像が深くなっていない。
クラスの女子からもてまくり、他の奴はばんばん死ぬ中、
弾丸を何発もくらって生きている主人公も陳腐に見える。
また銃の描写も悪い。女子が片手でもって手首ふらふらさせながら
撃つのは何とかならないのか。
あと、死ぬ描写も。
凶器としての怖さがなくて傷つくことの怖さを感じられない。
まあ、破片を飛び散らせて攻撃する手榴弾を口につめると
威力半減するんじゃ、、、というのはどうでもいいけど。
最後の"走れ"っていうメッセージもさっぱりわからん。
でもこの映画をB級作品として見るとおもしろい。
笑いまくり。それなりに楽しめる。
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- 2004/03/04(木) 09:50:26|
- 映像作品感想
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最近オームの麻原が1審で死刑を求刑された。
その話題の流れで宗教は怖いというのを聞いた。
だが、本当に宗教は怖いものだろうか。
世界には生まれてから自然とそこにある宗教に属している国が多い。
そういうところでは生まれたときから宗教が当り前にある。
アメリカも政府でキリスト教の行事をしたりする
(日本では政教分離が誤解されているが)。
宗教が怖いということはそういう国を怖がるということだ。
それはあまりに世界が狭いし、自分にも損にしかならない。
また、宗教とは単にある社会システムに過ぎないと思っている。
主義なんていうのも宗教的だ。
基本的にこの世に絶対的なことが無いにもかかわらず、
主義や宗教というのは、何かを信じることだ。
私達も何も根拠がないことを信じている
(昨日の自分と今日の自分は同じ、自分の精神は正常、目の前のパンは本当にパンだ等
証明できない)
それのどこが宗教と違うというのだろうか。
オームの事件を見て思うことは宗教が怖いということではなく、
現実の世界からフィードバックを得ない団体が怖いということだと思う。
オームの事件はエリートが麻原に父を求め、
麻原は優越感をもてる自分より下の存在を求めた依存関係から起きたことだと思う。
また、そのオームの構造から縦の関係があっても信者同士の横の関係が
できにくかった。
そのことから麻原を止めるものがおらず(現実からのフィードバックがない)
サリン事件が起きたのだと思う。
- 2004/03/02(火) 15:09:23|
- 雑記
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